コダーイメソッドとは何か?《連載第五回》

 コダーイメソッドは〝うたうこと〟から始まります。

 そもそも子どもが生まれて初めて行う自然な音楽行為は〝うたうこと〟です。例えば、まだしっかりと言葉の話せない小さな子どもも、〝一人歌〟の中で自己の感情を表現したりすることがしばしばあります。能動的、自主的にうたうことは子どもの人格の多面的発達を確保しているという言い方もできるかもしれません。のちに楽器を演奏するにしても、あるいは音楽鑑賞をするにしても、その基礎はすべて〝うたうこと〟の中にある、というのがコダーイメソッドの基本的な考え方なのです。

 「より深く,より高度な音楽的教養にとって, うたうことこそ,その基礎である。人間の声は誰もがもっており, すべての人のものなのだ。そうしたい,とさえ思えば,私たちの声は, 誰にとっても無料の, そしてもっとも美しい楽器だ。この楽器をいやがうえにも美しく磨くことは, こども,学生,若い人たちの義務である。そうしてのみ, 音楽の偉大な世界の入口に到達しうるからだ。」 

〜ボーニシュ・フェレンツ編『コダーイ回顧録』第1巻よりP.90〜

 そして、さらに(‥ここまでも何度か申し上げてきましたが‥)ハンガリーでは特に、自分達の国(民族)の民謡・わらべうたを歌う‥ということがとても大切にされています。

‥‥‥

 この講演で最初にお話したコダーイの根幹となる考え方の中の一つに

【C】自らの伝統によって音楽を歩み始めることが大切

‥ということがありましたね。そのことについてはまだあまりり詳しくお話していませんでしたので、ここでちょっとお時間をいただいてその理由について考えてみたいと思います。

 なぜ自分達の国(民族)の伝統の歌(わらべうたや民謡)を歌うことが大切なのでしょうか?

 まず一番はじめの重要な理由は、コダーイの述べたように《子どもには価値ある音楽しか与えてはならない。》‥からです。つまり民謡やわらべうたには、実はバッハ、ベートーベンなどのクラシックの最高峰と言われている音楽と同等、あるいはそれ以上の芸術的価値があるとコダーイは言っているのです。

『ハンガリーの大衆をより高度な芸術音楽に近づけなければならない。現在、高度な西欧の芸術音楽のみを享受している人々は, その象牙の塔から出て,これとは別に,ハンガリーの音楽的伝統のあることを知り,この伝統の産物である多くのうたが, 西欧の芸術音楽の諸作品と同じように,おのが領域において完ぺきな音楽であり,純粋で高度な芸術であることを知らなければならない。』

〜ボーニシュ・フェレンツ編『コダーイ回顧録』第1巻よりP.38〜

 そして、その次に重要になるのは、子どもの音楽的発達に関わる理由です。

 つまり、民謡(‥なかでも特にわらべうた‥)のペンタトニック(→半音なしの5音階によって構成された音階)のメロディーは、発達学的に言っても、成長途上にある子ども達の声帯にもっとも適したうたであるということです。

「早くから(半音のある)全音階をうたうことにならされたこどもは,のちに決して,正しい音程でうたうようにならない。そのようなこどもたちのうたをきくと,せん細な耳には,必ず,ミーファのあたりがあいまいにきこえる。しかし,はじめにペンタトニックの5つの大事な音(ドレミソラ)をしっかりとつかまえたこどもは,あとから,適切な時期に,上からでも,下からでも,らくに半音(ファ,ティ)をそこにはめこむことができる。」

〜ボーニシュ・フェレンツ編『コダーイ回顧録』第1巻よりP.70〜
「だれもペンタトニックで一生を終ろうというのではない。しかし,はじめるのは,ここからである。この方が, 一方では,個体発生史的にみて順次的であるし,他方では、教育の求める順次性からいっても自然である。」

 さらにもう一つ‥、わらべうたには, しばしば,大人の原始的な儀式や, 古い民族習慣を“盗み見”するような歌詞・モチーフが登場することがありますね。そのような歌を聞く時、私達は昔の人の心まで伝わってくるような気持ちになることがあります。そこには民族の歴史的, 社会的変遷が断片的にちりばめられ、生きつづけている、という言い方もできるかもしれません。子ども達が自分達の国(民族)のアイデンティティーを形成していく‥という上でもわらべうたや民謡を歌うことは大変魅力的で意味あることと言えるでしょう。

 わかってもらいたいことは, 子どもたちによいうたをうたわせるということが, ただ単に,装飾的美しさ, 楽しさの問題ではなく、子どもの、そして人間の生命の死活問題だということである。ハンガリーの旗をふって愛国心をロにするようなことと、真にハンガリ一的な文化とは何の関係もない。精神の最も深いところでどうあるかということである。

〜コダーイ『保育園における音楽』(1941年)〜

‥‥‥

  ハンガリーでは基本的には保育園で教えられるわらべうた遊びですが、小学校に上がってからもしばしば教室のあきスペースを使って‥あるいは戸外で‥子ども達にこのわらべうたを歌い楽しむ機会を作るようにしているようです。

『わらべうたの, 純粋に人間的な価値はまことに大きい。それは人間どうしの結びつき, 生きる喜びを高めてくれる。今日のこどもの早老性にたいして, これ以上のくすりはない。最近では,こどもじしん,小さい子の幼稚な遊びだと考えている風がある。大人が,そのままにしておいてはいけない。より大きいこどもたちをもはげまし,恥しがらずに,十分に楽しませてやらなければならない。 こども時代が長ければ長いほど,人は成人してから,より調和のとれた,より幸せな人生をもてるのだから。』
 〜ボーニシュ・フェレンツ編『コダーイ回顧録』より〜

‥‥‥

 さて、このように主体的、能動的な子ども達の〝うたう〟機会を保障することが、実は、次の《リズムの指導》《聴感の発達》あるいは《移動ドの力を身につける》上でも大変大きな意味を持ってくることになります。

 

  👉(第六回につづく)

 

 

 

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